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サムライ魂は受け継がれる

年の瀬をまじまじと感じるようになった今日この頃であるが、
今週は様々な記念日が目まぐるしい。

なかでも有名な11/11のポッキーの日は、もう国民に浸透し馴染みとなってきたであろう。
他にも、11/13はお父さんの日や、11/14はいい上司の日など多種多様な記念日がある。
余談ではあるが、11/13は私の住む茨城県では県民の日となっている。

しかし、サッカーチームである我々にはどうしても外せない日が11/11である。
それは、サッカーの日とサムライの日である。
サッカーの日は言わずもがな、サッカーチームだからであるが、
なぜサムライの日が特別なのかお察しの方も多々いるとは思う。
それは日本代表の愛称がSAMURAI BLUEであるからだ。

そんな今週、日出ずる国、ここ日本に「アジアの大砲」高木琢也が生を受けた。
なぜ彼がアジアの大砲と呼ばれているか往年のサッカーファンなら分かると思うが、
改めて説明すると、1992年のアジアカップ決勝のサウジアラビア戦で、
決勝ゴールを叩き込み日本に初優勝をもたらしたことから、いつしか彼をこのように呼ぶようになった。

彼は、どんな選手であったのかというと、恵まれた体格を活かしたポストプレーや空中戦が強く、
得点の多くをヘディングで取っており、当時のハンス・オフト監督政権時代にはキーマンとして活躍した。

現役引退後は、監督として複数のクラブで指揮を執り、「すぐに結果を出す監督」というイメージがとても強い。
また、対戦相手の直近5試合を隈(くま)なく、チェックし、選手に伝え指導するなど選手にとっては頼もしい指揮官なのだ。

現在は、V・ファーレン長崎のCROとして活躍しており、
今シーズンは優勝や自動昇格は決められなかったがJ2の舞台で3位として裏から支えた。
監督としてもフロントとしても活躍し、多数のサムライ戦士を育て、
多くの選手が慕っていることから個人的にはものすごく優秀ないい上司なのだろうと感じる。


文責:茨木幸也(スポーツジャーナリスト)